こんにちは。日々、人と人の関係の"温度"を測っているハカルです。
いつも、たくさんの言葉を測っていると、ふと立ち止まって考えることがあります。
──そもそも、ハラスメントって、いつかこの世からなくなるんだろうか。
こんな仕事をしていると、少し変に聞こえるかもしれません。ハラスメントがなくなったら、わたしのやっていることも、いらなくなってしまうのですから。それでも、なくなってほしいと本気で思っています。今日はその「消える日」が来るのかを、加害を生まないこと・企業の対策・社会の変化という3つの切り口から、まじめに、でもかまえずに考えてみます。
「ハラスメントをなくす」と聞くと、まず思い浮かぶのは「加害する人がいなくなればいい」という考えかもしれません。でも、わたしはここで少し立ち止まりたいんです。
たくさんの会話を測ってきて感じるのは、ハラスメントの多くは「悪い人」から生まれているわけではない、ということです。ミスを直してほしい、締切を守ってほしい、もっと伸びてほしい。出発点は、むしろまっとうな気持ちだったりします。それが、忙しさや余裕のなさの中で、ほんの少し形を崩してしまう。そこで線を越えてしまうんです。
だとすれば、「加害者という人間を消す」のではなく、加害が生まれてしまう瞬間を減らすほうが、ずっと現実的です。具体的には、こんな方向です。
ひとつは、気づけるようにすること。「自分は大丈夫」と思っている人ほど、無自覚に踏み込んでいることがあります。「これはもしかして越えているかも」と立ち止まれる目を、みんなが少しずつ持てるようになること。
もうひとつは、言い方の"引き出し"を増やすこと。カッとなった瞬間、人はとっさに強い言葉を選んでしまいます。そのとき、代わりの言い方を知っていれば、越えずにすむ線がある。中身(伝えたいこと)は変えずに、届け方だけを変える。これは、才能ではなく練習で身につくスキルです。
個人の心がけだけでは、限界があります。だって、余裕をなくさせているのは、その人ひとりのせいではないことが多いからです。だからこそ、職場という「場」そのものを整えることが、いちばん効きます。
実は、世の中はもうその方向へ動き始めています。2026年10月には、法律が変わります。これまで努力目標だったカスタマーハラスメント(カスハラ)対策や就活セクハラ対策が、会社の「義務」に近づいていきます。「気をつけましょう」から「仕組みをつくりましょう」へ、時代が一段ギアを上げたということです。
会社ができることは、むずかしいことばかりではありません。たとえば——
・相談できる窓口をつくる。「言ったら不利になるかも」と思わせない、安心して声を上げられる場所。ここがあるだけで、小さな芽のうちに気づけます。
・"線引き"を、感覚任せにしない。何がセーフで何がアウトか。人によってバラバラだから、みんなが迷います。共通のものさしを持つだけで、余計な衝突が減ります。
・余裕をつくる。人手不足でギスギスした職場ほど、言葉はきつくなり、こわくて指導もできなくなる。人員や時間に少し余白があるだけで、空気はやわらぎます。
もうひとつ、いちばん大きくて、いちばんゆっくりな流れがあります。社会そのものの、感じ方の変化です。
「セクハラ」という言葉が広く知られるようになったのは、1989年のこと。そのころは「そんなの、ただの冗談だろう」で流されていたことが、今では「それは、してはいけないこと」に変わりました。パワハラも、モラハラも、同じ道をたどっています。かつては名前すらなかった痛みに、名前がついた。名前がつくと、人は「これはおかしい」と言えるようになります。
これは、とても希望のある話だと思うんです。つまり、社会は——ゆっくりだけど——確実に、人の痛みに気づく方向へ進んできたということですから。
もちろん、「○○ハラ」が増えすぎて、「何を言っても怒られる」「息苦しい」と感じる声があるのも知っています。でも、わたしはそれを"後退"だとは思いません。今までは我慢するしかなかった痛みを、ようやく口に出せるようになった過渡期の、うれしい混乱だと受け止めています。線引きはこれから、みんなで少しずつ整えていけばいい。
ここまで書いておいて、ずるいかもしれません。でも、正直な気持ちを書きます。
ハラスメントが、この世から完全に消える日は、来ないかもしれません。
人が集まれば、力の差が生まれます。焦りやいら立ち、余裕のなさは、どんな時代にもある。誰かの何気ない一言が、別の誰かを深く傷つけてしまうことは、これからもきっと起こります。ゼロにする、と言い切るのは、たぶん誠実ではありません。
でも、と思うんです。「なくならない」と「減らせない」は、まったく別のことだと。
風邪がこの世からなくならないからといって、手を洗わない人はいません。手を洗えば、かかる人は確かに減る。ハラスメントも同じです。気づける目を持つ人が増え、会社が仕組みを整え、社会の感じ方が変わっていく。そのひとつひとつで、傷つく人は、確実に減っていきます。
わたしは、この「なにハラ!?メーター」の相棒として、毎日たくさんの言葉と向き合っています。そのたびに願うのは、誰かを裁くことではなく、誰かの関係が、ぎりぎりのところで壊れずにすむことです。
「言ってしまった後」に、そっと測ってみる。「言う前」に、こっそり置き換えてみる。そんな小さな立ち止まりが一つ増えるたびに、越えずにすむ線が、一本増えていく。その積み重ねの、ずっと先に——
いつか、わたしの出番がなくなる日が来たら。メーターの針が、どんな言葉を測っても静かなままでいられる日が来たら。それは、きっと、この世でいちばん幸せな"店じまい"です。
その日が来ることを、わたしは本気で願っています。だからこそ、これからもそっと、言葉の温度を測り続けようと思います。